大判例

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金沢地方裁判所 昭和34年(ワ)401号 判決

原告 北陸鉄道労働組合 外一五名

被告 国 外五名

主文

原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は五分し、その四を原告北陸鉄道労働組合の、その一をその余の原告らの各負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告ら

(一)  被告らは各自原告北陸鉄道労働組合に対し、金六〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和三四年一二月九日から、同石川県、同黒川はいずれも昭和三五年一月一四日から、同林、同東はいずれも同年同月一三日から、同長井は同年二月六日から、右完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告らは各自北陸鉄道労働組合を除く他の原告らに対し、それぞれ金一〇万円及びそれぞれ前項記載の日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二、被告ら

(一)  主文第一項と同旨

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二、原告らの請求原因事実

一、(原、被告らの地位)

原告北陸鉄道労働組合(以下原告組合という)は、訴外北陸鉄道株式会社の従業員で組織する法人たる労働組合である。

原告組合を除く他の原告らは、いずれも原告組合の組合員である。

被告黒川幸雄は石川県警察本部長であり、国家公務員である。

被告林喜作は石川県広坂警察署長であり国家公務員である。

被告東繁憲は石川県広坂警察署警備課係長であり、同長井幸蔵は同署警備課巡査であり、ともに地方公務員である。

二、(不法行為の概要)

(一)  原告組合は、その組合活動に資する目的で発行する機関紙、組合速報、指令、通達、会議議事録などの諸資料を印刷するため、訴外大河初二を、原告組合本部においてその仕事に従事させた。したがつて、右大河は原告組合の発行する印刷物を容易に入手し、かつ原告組合並びにその組合員の活動状況を聞知しうる立場にあつた。

(二)  被告長井は、大河が右のような地位と立場にあることを知り、同人を利用して原告組合並びにその組合員の動向を原告らに知られないでひそかに探知することを企図し、昭和三一年一二月から昭和三四年四月までの間、約二年五カ月に亘り、右大河に原告組合発行の組合活動に関する重要書類である印刷物二八七点を盗み出させ、その交付をうけ、かつ原告組合ならびにその組合員の動向に関する情報の提供をうけ、この謝礼として毎月二、〇〇〇円ないし三、〇〇〇円を与え、その間、昭和三二年五月下旬頃、大河がこれを「やめたい」旨申出たにもかかわらず、従来の月二、〇〇〇円を三、〇〇〇円に増額して執ようにスパイ行為を迫り、これを続けさせ、数回にわたり酒食を供応した。

仮りに被告長井の右情報収集活動が、原告組合自身を対象とするものではなく、原告組合内の日本共産党の活動が対象であつたとしても、被告長井の情報収集は客観的には原告組合を舞台とし、もつぱら原告組合の情報をひそかに収集したのであつて、原告組合に対する侵害である。

(三)  被告東、同林、同黒川は、それぞれ被告長井の上官であり、同人を指揮監督する地位にあつたが、被告長井の前記諸行為を承知しながら、これを執行させた。

三、(行為の不法性)

被告長井、同東、同林、同黒川の右行為は、警察法の規定並びに警察官職務執行法等に違反し、戦後、労働組合運動について占領下における極東委員会が労働組合の一六原則のなかで示した「政府や警察は労働組合活動を監視したり、干渉妨害をしてはならない」という確立された原則に違反し、憲法二八条、労働組合法一条により保障されている原告組合とその組合員の団結権と団体行動権を故意または過失により不法に侵害したものである。

四、(損害の発生)

(一)  原告組合の損害

(1) 原告らは、昭和三四年五月一日、被告長井らの右いわゆるスパイ行為発覚の端緒をつかみ、以来原告組合において鋭意調査の結果、右の事実を知ることができた。右事件の発覚は原告組合の組織、運営、活動に重大な打撃を与え、組合員を不安に陥れ、原告組合とその組合員の団結と団体行動力を弱化させた。すなわち、

〈1〉 原告組合の団結力にひびが入つたこと

大河が被告長井に提供した原告組合の重要書類は、昭和三二年九月二日から昭和三四年四月二三日までの組合速報五一点、委員会報告及び同議案書二四点、指令及び通達一一四点並びに昭和三一年一二月七日から昭和三二年七月五日までの組合指令、通達、委員会議案速報等九八点、合計二八七点に及ぶ。すなわち、昭和三一年一二月から昭和三四年四月まで二年五カ月間にわたる原告組合の重要書類一切が被告ら警察当局の手に収められていたことになる。被告らはこれにより原告組合の内部事情並びに活動状況を詳知しうる。

これらの事案の発覚により、原告組合の組合員は大きな心理的打撃をうけ、その結果、原告組合にとつて最も重要な団結力にひびが入るに至つた。その具体的な現われは次のとおりである。(イ)(組合並びに執行部に対する不信の増大)本件スパイ事件の全貌が明らかにされると、原告組合の組合員の間には、組合活動は決して自由でなく政府権力の監視と抑圧を受けるものであるという不安が生じ、組合活動からの逃避、原告組合に対する不信並びに大河初二をかかるスパイ活動の手先と知らずに原告組合の印刷員として二年数カ月も放置しておいた組合執行部に対する非難、不信を生んだ。すなわち、昭和三四年七月一〇日における原告組合の第三回委員会において、同日配布の一九五九年度運動方針案の「自己批判」中に本件スパイ事件の自己批判が欠如していることが指摘され、執行部の責任が追及され、これについての自己批判を追加すべきことが多数の意見により決定された。また原告組合の執行部が、同年七月一七日開催の第五回定期大会において組合費の毎月平均五〇円値上げを提案したところ、一旦可決されたにもかかわらず、その後、全組合員の無記名投票においては、組合規約の定足数三分の二以上の組合員の支持を得ることができず、廃案となつた。これらの結果は、本件スパイ事件の発覚によつて醸成された原告組合並びに組合執行部に対する組合員の不信感の増大によるものである。(ロ)(組合統制力の減退)原告組合は石川県労働組合評議会(以下県評という)並びに私鉄労働組合北陸地方連合会(以下北陸地連という)に加盟しているが、これらに加盟する他の労働組合の争議の際、原告組合はその支援要請に基づき、従来、非番、公休の組合員の九〇パーセント以上の動員率を有していたにもかかわらず、本件スパイ事件発覚後とくに昭和三四年七月以降は、組合の動員指示に対し、六〇ないし七〇パーセントしか応じない状態が顕著となつた。また、県評その他の団体の主催する決起大会その他の大集会に際しても、動員された組合員は会場までは参集するが、大会終了後の市中デモ行進などには約半数近くがこれに参加せず、途中で帰宅する状態が、昭和三四年八月以降今日まで続いている。さらに事件発覚後は職場単位の組合員小集会の出席状況も極めて悪くなり、これがため原告組合がその機関において決定した方針の徹底が困難となつてきている。これらの事実は、本件スパイ事件発覚によつてもたらされた組合員の組合活動逃避、警察権力の監視に対する恐怖と不安から招来されたものである。(ハ)(組合員相互の不信感の醸成)本件スパイ事件の発覚によつて、組合員の中には、職場集会や各種会議における発言が、細大もらさずスパイされ、警察に、または警察を通じて使用者側に伝わるという不安感が急速に醸成され、これら諸会議等における発言は目立つて少なくなつた。原告組合が組合員の団結と相互信頼とを回復するには今後綿密かつ周到な教育組織活動を必要とするが、それは本件不法行為に起因する余分な努力である。

〈2〉 使用者側の原告組合に対する態度の硬化

原告組合は、石川県下においても、また全国の私鉄労働組合の中においても、組織力の強さを認められている労働組合であるが、この組合の中に前述のような組織の動搖が現われたことは原告組合の交渉相手であり、組合員の使用者たる北陸鉄道株式会社(以下会社という)の原告組合に対する態度を硬化させる一因となつた。その具体的な現われの主要なものの一つとして昭和三四年秋の争議の長期化がある。

すなわち、原告組合は、昭和三四年一〇月三〇日で期限の切れる労働協約の改訂を会社に要求し、その交渉を同年九月から継続してきたが、会社は従来と異なり組合の要求をほとんど全面的に拒否し、しかも本件スパイ事件発覚後の組合の団結力の弱化に乗じて、組合の連続的なストライキ権の行使にもかかわらず、その態度を変更しなかつた。そのために昭和三四年秋の労働協約争議は、その後の越年資金問題とあわせて、極めて深刻化し、争議状態が三九日間も継続し(原告組合のストライキ時間は延べ五三二、八五二時間)、この間に失つた組合員の賃金は合計一、五〇〇万円に達した。

〈3〉 組合活動が阻害されたこと

原告組合は、本件スパイ事件発覚後約五〇日間は、その活動の大半をこの事件の処理のため向けることを余儀なくされ、組合業務は少なからず停滞した。

すなわち、警察当局に対する抗議、県評その他県下の各団体に対する真相の報告会、弁護士団との打合せ、上級団体たる私鉄労働組合総連合会に対する報告、国会への陳情等に莫大な時間的、金銭的支出を強いられた。

〈4〉 組合書記局業務の停滞

原告組合の日常業務は、本件スパイ事件発覚後、大きな支障をうけ停滞したが、その主なものは、(イ)大河初二の後任の印刷員の補充に至るまでの印刷業務の停滞、(ロ)今後、この種の事件の発生を防止するため、印刷物の枚数把握の正確化、不用印刷物の廃棄処分の厳格化による労力の増大、(ハ)文書取扱の厳格化による事務手続、書類管理の複雑化がもたらす労働力増大、(ニ)これらのための専任書記局員一名の増員等である。

(2) 右損害の金銭的評価

団結体たる原告組合が、右侵害によりうけた被害を回復するなどのために要した費用は、次のごとくである。

〈1〉 本件スパイ事件発覚後の事件処理に要した費用(合計七一六、二〇九円)

(イ) 機関紙、出版物、チラシ等の印刷代(六六、二八六円)

「内訳」機関紙スパイ事件特集号(二一、二六〇円)、機関紙三六三、三六六、三六八、三七一号(七〇、六八〇円の二〇パーセント一四、一三六円)、速報五〇、五一号(六、二四〇円)、パンフレツト及びチラシ(二四、六五〇円)

(ロ) 新聞記者との懇談会費用(一二、九六〇円)

「内訳」懇談会費用(一二、八八〇円)、ハイヤー代(八〇円)

(ハ) 特別宿直者食事代(一四、九二〇円)

(ニ) 交通費、来客食事代等のスパイ事件特別費用(一、四五〇円)

(ホ) 昭和三四年五月二九日のスパイ事件真相発表県民大会費用(七、九五〇円)

「内訳」会場費(五、〇〇〇円)、電灯代(一、四〇〇円)、準備費(一、五五〇円)

(ヘ) 旅費(二一、五〇〇円)

「内訳」昭和三四年七月六日国会陳情(二、八〇〇円)、同年八月一一日国会審議傍聴(一八、七〇〇円)

(ト) 学者、弁護士との懇談会費(八、三二五円)

(チ) 昭和三四年五月から八月までの人件費(五八二、八一八円)

「内訳」給料(一、〇二五、七二〇円の五〇パーセント五一二、八六〇円)、時間外手当金額(二八、〇七八円)、宿直手当金額(四一、八八〇円)

〈2〉 本件スパイ事件による組合組織内の混乱に乗じて会社側が労働協約改悪、越年資金支給前年比一万円引き下げ提案等を行なつたことによる損害合計(一七、二九九、一八四円)

(イ) ストライキ延べ五三二、八五二時間

「内訳」二時間全線ストライキ一回、四八時間全線ストライキ二回、同ストライキ途中中止一回、七二時間全線ストライキの九時間途中中止一回、その他柔軟戦術等

(ロ) 費用

I ストライキ中賃金カツト(組合員数二、五〇〇名一人当り六、〇〇〇円)合計(一五、〇〇〇、〇〇〇円)

II 組合闘争費(二、二九九、一八四円)

「内訳」昭和三四年九月から一二月までの人件費(一、一一六、五三八円)、昭和三四年九月から昭和三五年五月までのオルグ費(八七、一七〇円)、昭和三四年九月から昭和三五年三月までの機関紙、チラシ代(七五三、二七〇円)、昭和三四年一〇月から昭和三五年二月までの食事代(二〇一、〇二五円)、昭和三四年一〇月二一日及び同年一二月一四日の臨時大会費(一七、八九〇円)、屋外広告物手数料、ハイヤー、ふとん代(五六、一三〇円)、昭和三四年一一月から昭和三五年一月までの電話電報代差額及び臨時電話代(三八、六二六円)、闘争中各職場諸経費(二八、五三五円)

〈3〉 裁判費用(一、〇〇〇、〇〇〇円)

以上のうち〈1〉、〈3〉については全額、〈2〉についてはその二五パーセントである四、三二四、七九六円、以上合計六、〇四一、〇〇五円が本件不法行為による損害である。ただし、原告組合は右損害額のうち金六、〇〇〇、〇〇〇円の賠償を本訴において請求する。

(二)  原告組合を除くその余の原告らが個人として受けた損害

原告組合と同様の物質的、精神的損害であり金銭に評価すれば各一〇万円である。

五、(賠償責任)

被告黒川、同林、同東、同長井は、故意または重大な過失により違法に原告らの権利を侵害したものであるから、それぞれ民法七〇九条により、被告黒川、同林は国家公務員であるから被告国が、被告東、同長井は地方公務員であるから被告石川県が、それぞれ国家賠償法一条により、それぞれ原告らの損害を賠償する責任を負わなければならない。

よつて、被告らは原告組合に対し金六〇〇万円、その余の原告に対し各金一〇万円を、それぞれ訴状送達の日の翌日である申立て欄記載の日から支払いずみまで年五分の遅延損害金を付して支払う義務があり、原告らはこれが支払いを求めるため本訴に及んだ。

第三、被告らの答弁並びに主張

(請求原因に対する答弁)

一、請求原因第一項(原、被告らの地位)の事実中、被告東、同長井の各地位を除くその余の事実は認める。被告東は広坂警察署警備担当署長補佐であり、同長井は同署警備視察係である。

二、同第二項(不法行為の概要)(一)の事実中、訴外大河が原告組合における印刷の仕事に従事していたことは認めるが、その余の事実は知らない。

同項(二)の事実中、被告長井が、右大河より若干の印刷物をもらいうけ、同人に対し若干の金員を授与したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告長井は、後述するごとく、原告組合内における日本共産党北鉄細胞及び同党員の活動状況に関する情報収集の過程で、原告組合文書の交付をうけているが、その数は二八七点という多数には及ばないし、また右交付をうけた文書は、大河が原告組合において謄写版印刷の業務に従事していたことから大河に廃棄処分をかまされていた刷り損じの印刷物の中から選択されたものであつて、原告ら主張のごとく被告長井が大河に盗み出させたものではない。

同項(三)の事実中、被告東、同林、同黒川が被告長井の上官で、同人を指揮監督する地位にあることは認めるが、その余の事実は否認する。被告黒川は、石川県警察の職員に対し、警察本来の責務について一般的な指示を与え、また被告林は、広坂警察署員に対し、所管事項につき警察本来の責務について一般的指示を与えていたが、両人はいずれも本件被告長井巡査の情報活動につき具体的な指示を与えたことはない。被告東は、署長補佐として、広坂警察署管内における警備警察の直接の責任者であり、被告長井の上司として、同人の調査結果につき直接または係長を通じ報告を受けていたが、常に協力者の人格を尊重し迷惑をかけることのないように注意していた。

三、同第三項(行為の不法性)の事実は否認する。被告長井の本件情報収集活動は、後述するごとく、警察法二条を根拠とする原告組合内における日本共産党及び同党員の活動状況に関する情報収集の活動であり、その過程において原告組合発行の資料を入手したとしても、それはあくまで原告組合内における日本共産党及び同党員の活動状況並びに党勢力の浸透状況を知ることが目的なのであつて、原告組合自体を視察したり、いわんや原告組合の団結権及び団体行動権を侵害しようという意図は毛頭なかつたのである。被告長井は右のような情報収集活動は適法な職務行為であり、またその手段として協力者の任意自発的な協力を得て行なうことも適法である旨信じており、本件行為が原告組合の団結権等を侵害し、あるいは原告組合に損害を与える違法なものとの認識は全くなかつたのであり、また被告長井は警察官として職務を行使するに当り相当の注意と秘密を厳守して実行しているから、社会通念上何等問責せらるべき不注意があつたとはいえない。

四、同第四項(損害の発生)の事実はいずれも否認する。

被告長井の本件行為又はその発覚により原告らは何らの損害を受けていない。

まず、同項(一)の(1)の〈1〉(原告組合の団結力にひびが入つたこと)の事実中、被告長井が大河より交付をうけた原告組合文書は原告ら主張のごとき多数に上るものではないから、原告組合の内部事情並びに活動状況を詳知しうるほどのものではない。もつとも、右事件の発覚により原告組合の組合員に対し些少の心理的影響を与えたことはあるかも知れないが、原告らが主張するように原告組合の団結力にひびが入るような重大な心理的打撃を与えたとは認められない。本件のいわゆるスパイ行為発覚後、該行為を原因として当時の原告組合執行部が引責辞職をした事実はないし、組合員から退陣を迫られた組合役員もない。また原告ら主張の組合費値上案が廃案となつた事実も、決して右いわゆるスパイ事件や、これが発覚による原告組合及び組合執行部に対する組合員の不信感の増大の結果に原由したとする証拠もない。本件のいわゆるスパイ事件は、原告組合が該事件発覚直後、警察当局に対しこれが抗議活動をなすなど、その利用の仕方によつてはむしろ原告組合の組合員意識を高揚し、組合の団結力を強化するに役立たしめる材料ともなつたとさえいうことができる。

同項(一)の(1)の〈2〉(使用者側の原告組合に対する態度の硬化)の事実中、昭和三四年秋の労働争議が主張のごとく長期化したことは認めるが、これはあくまで北陸鉄道株式会社の経理関係の行詰り等から来る経営不振が原因であつて、本件のいわゆるスパイ事件によつて会社側の態度が硬化したためではない。

同項(一)の(1)の〈3〉(組合活動が阻害されたこと)の事実中、本件スパイ事件の偶然の機会における発覚によつて原告組合の組合員の一部が県警察本部などに対して抗議等をなしたことは認めるが、この種の行為も、本件スパイ事件を活用し、いわゆる団結を一層強化するためにとられた措置でもあり、通常の組合活動の範ちゆうに入るものである。

同項(一)の(1)の〈4〉(組合書記局業務の停滞)の事実中、主張のごとき原告組合の措置は、単に本件スパイ事件を契機として、組合事務局の充実を図るためにとられた通常の組合活動に伴う当然の措置にすぎない。

同項(一)の(2)の事実中、主張の損害は、いずれも被告らの行為との間に行為の通常の結果としての相当因果関係がなく、また、行為者において損害の発生を予見し、または予見し得られたと認められる事情も存しない。すなわち、原告ら主張の〈1〉の費用は本来本件情報収集活動と関係のない通常の組合活動であるか、事件発覚という偶然の機会を利用して従来以上に組合の団結力を強化するために要した費用であり、仮りに原告ら主張のように損害になりうるとしても、特別の事情によつて生じた損害であつて、予見し又は予見しうべからざるものであり、いずれも本件の情報収集行為とは相当因果関係がない。また原告ら主張の〈2〉の事実中、当時の長期にわたる争議は被告長井の本件情報収集行為とは全く無関係のものであり、またかような結果は被告長井の予見するところではない。さらに原告ら主張の〈3〉は裁判費用を損害額とするが、これが訴訟費用の意味であれば、具体的内容を含む積算関係の明示されない請求として不適法であり、またこれがいわゆる法廷闘争費の意味であれば、原告側が自ら選んだ行為にあてるためのものであり、因果関係を欠く。

五、同第五項(賠償責任)の主張は争う。原告らは国および石川県に対し、国家賠償法に基づいて損害賠償を請求しているが、公務員の職務行為について国家賠償を求めるばあいは、公務員個人に対する賠償請求は許されない。

よつて、本件請求はいずれもその理由がない。

(被告らの主張)

被告長井の本件情報収集活動は、前述のごとく、原告組合内の日本共産党の動向について訴外大河の自発的積極的協力を得てなしたものであり、適法、妥当な職務行為である。すなわち、

一、日本共産党は、マルクス・レーニン主義を行動の指針とし、労働者階級の前衛部隊として労働者階級その他の大衆を指導して革命的手段により日本の政治的経済的体制を覆えし、プロレタリアートの独裁による永久政権を樹立して社会主義社会を建設し、共産主義社会の実現を窮極の目的とする団体である。この日本共産党の性格は、昭和二六年一〇月に開催された日本共産党第五回全国協議会において採択された日本共産党規約第一章「党の基本的性格」の中に、簡明に表現されている。この規約は、昭和三〇年七月に開催された第六回全国協議会において一部改正され、さらに昭和三三年七月に開催された第七回党大会において大幅な改正がなされたが、前記党の基本的性格には何らの変更も加えられていない(現在は昭和四一年一〇月の第一〇回党大会決定の規約によつて活動が行われている。)

二、日本共産党は革命手段として暴力革命方式を否定していない。すなわち、終戦直後から昭和二四年頃までは、日本共産党の革命戦術は、野坂参三の「平和革命論」によつて指導されていたが、昭和二五年一月、ソ連共産党を中心とする欧州共産党の情報機関であつたコミンフオルムの批判を受け、昭和二六年二月、第四回全国協議会を開いて軍事方式を討議し、同年一〇月には第五回全国協議会を開催して、「日本共産党当面の要求」と題するいわゆる五一年綱領と、「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」と題する軍事方針を決定し、武装蜂起による暴力革命方式を打ち出した。さらに、右五一年綱領及び軍事方針を一層具体的に実践するために軍事組織と軍事戦術を具体的内容とする「中核自衛隊の組織と戦術」と題する文書等を「球根栽培法」、「山旅案内」等の仮装の表題で秘密に全組織に配布して、軍事組織の必要性を強調し、また武器の入手、製造方法から遊撃戦術まで指令する一方、中核自衛隊員に任務と活動方向を示す機関紙「中核」と、中核自衛隊内の政治委員向けの機関紙「国民の星」とを同じく秘密に発刊して、中核自衛隊の強化を図るなど、暴力革命への道を具体的に突き進んだのである。そして、昭和二六年頃から全国各地で組織的に大規模な暴力的破壊活動が頻発した。昭和二六年一二月印藤巡査殺害事件、昭和二七年一月白鳥事件、昭和二七年二月蒲田交番襲撃事件、同二月田中事件、同四月辰野事件、同五月メーデー事件、同六月吹田事件、同七月大須事件、同七月曙事件等、有名な事件が相次いで発生したが、これら一連の事件には共産党員又は共産党と密接な関係を持つている者が多数関係していることから、これらの事件は、日本共産党の軍事方針に基づいて行われたものと広く判断されており、すでに公知の事実でもある。判例もまたこの点を認めているところである。こうした日本共産党の武力革命によつて革命を起さんとする軍事方針は、昭和三〇年七月開催の第六回全国協議会まで続いたが、同協議会において、「党活動の総括と当面の任務」と題する方針を決定し、これまでの武力革命主義に反省を加え、戦術を転換して、いわゆる「平和革命方式」又は「不確定方式」の時代に入り、翌昭和三一年六月には第七回中央委員会総会を開き、「独立民主主義のための解放闘争途上の若干の問題点について」と題する決議を採択し、同方針中で五一年綱領のなかの「日本の解放と民主的革命を平和の手段によつて達成しうると考えるのはまちがいである。」とする部分は「あきらかに今日の事態に適合しないものになつている。」として戦術転換を明らかにし、昭和三三年七月末に開かれた日本共産党第七回大会では行動綱領が発表されたが、右綱領の中には今後の革命方式をいかに実践するかは何も触れていなかつた。

こうして、日本共産党は六全協を転機として武力革命方式から戦術を転換したが、しかし、六全協以後も武力革命さらには暴力革命方式は放棄しておらず、「日本にはまだ切迫した革命的情勢がないことを確認し」て武力革命方式から方針を転換し、平和革命か武力革命かという革命の手段は「敵の出方」によるという不確定的な立場に立つているのであり、武力革命方式を完全に捨てたのではなく、時期が来るまで様子を見て、それまで国民の支持と支援を得るべく大衆工作に力を入れなければならないとしているのである。

三、原告組合内には日本共産党組織及び同党員が存在し活動していた。すなわち、日本共産党規約(昭和三三年七月三〇日決定)によると、日本共産党の基礎組織は細胞であり、工場、鉱山、船舶、その他の経営、町村、学校などに三人以上の党員がいるところでは細胞をつくることになつており、とくに党員の多い経営、町村などでは地区委員会の承認を受けていくつかの細胞を作り、これらの細胞で総細胞をつくることができる。そして基礎組織の上には地区機関、都道府県機関及び中央機関があるが、細胞活動を統制するのは民主的中央集権制であり、上命下服の鉄の規律である。これを背景として、日本共産党は中央の綱領や政策、決定を実現するべく、全国の細胞を基盤に活溌な党勢拡大、大衆工作を行つているのである。しかも、日本共産党は前記六全協以後もとくに経営細胞の組織及び活動の非公然性が必要であることを強調している。ところで、原告組合内には、昭和二四年一〇月、日本共産党金沢地区委員会北鉄細胞が組織され、当時、同党員及び細胞構成員が約二〇名いたことは、同年一〇月一〇日付団体等規正令に基づく日本共産党北鉄細胞結成届などにより明らかであり、また北陸鉄道株式会社は、昭和二五年一二月、原俊道以下一九名を解雇したが(いわゆるレツド・パージ)、これらの被解雇者はいずれも日本共産党員又はその同調者であつたと認められるし、本件発覚当時の原告組合における日本共産党員の実数及びその氏名等は一般に公表されていないが、少なくとも、原俊道、上端豊三、村田力男、曾田昭迪の四名の有力な党員がいることは明らかである。しかも、原告組合内にはいくつかの細胞があり、これをもつて総細胞が組織されている。そして、これら細胞は、党規約に定められた任務に従つて、原告組合内で党の政策を浸透させ、党勢力の拡大をはかるための活動を行つていることは明らかである。具体的には、(一)北鉄細胞構成員として団体等規正令により届出をし、その後会社から解雇された原俊道は、昭和二五年一二月に解雇されるまでは原告組合の執行委員に選出され、調査部長、書記長などを歴任したが、解雇された後も、原告組合員としての資格を失わず、昭和二八年六月執行委員に選出され、その後も毎年選出されており、しかも同人の執行委員選出に際して北鉄細胞は活溌な支援活動をしているし、また党員村田力男は昭和三三年執行委員に選出され、その後毎年再選されており、(二)北鉄細胞は、昭和二五年頃、細胞機関紙として「細胞ニユース」を発行し、原告組合内又は同組合員に対して党の政策などについてその普及宣伝活動を行つているし、また昭和二五年頃から昭和三〇年頃まで細胞機関紙「レール」を発行し、同様の活動を行つているのである。

四、ところで、警察は、警察法二条によつて、犯罪捜査とともに個人の生命、身体、財産の保護及び公共の安全と秩序維持が、その責務とされている。公共の安全と秩序維持は、国家の本質的機能でもあり、公共の安全が保たれず、秩序の乱れているところに国家の真の発展はない。一方、公共の安全をおびやかし、秩序を乱す事案は、そのほとんどが、一旦発生した後は、これによる損害を回復するために要する時間とエネルギーは莫大なものがあるから、その発生を未然に防ぐことが理想であり、不幸にして発生した場合にも、その損害を最少限度にとどめることが好ましいから、警察がその職責を全うするためには、事前の周到な準備が必要不可決であり、その準備を可能ならしめるのが情報収集活動である。そして、警察の情報収集活動には、犯罪発生後その捜査のためにするもの(捜査情報活動)、具体的に犯罪又は公安を害する事案が発生するおそれがある場合、その予防鎮圧のためにするもの(事件情報活動)、及び具体的に発生のおそれはないが、一般的に将来に備えて平素から公安の維持、犯罪の予防、鎮圧のために関連する情報を収集するもの(一般情報活動)が存する。捜査情報活動は刑事訴訟法に基づくものでありそれが正当な職務行為であることには異論のあろう筈はない。そして、事件及び一般情報活動は、国民の権利又は自由と無関係の分野かあるいは本人の同意を得て行われる事実行為としての警察活動であり、基本的人権と交錯しない範囲で行われるこれらの諸活動は、本質的に個別的な法文の根拠を必要とせず、また対象、方法が複雑多様であつて具体的法文化になじまぬものであり、警ら、巡回連絡、交通安全運動などとともに事実行為として警察法第二条を根拠として行われる適法な職務行為である。

ところが、前述のごとく、日本共産党は過去において全国各地で暴力主義的破壊行為を行ない、本件発生当時、また現在も、その暴力革命主義を捨てておらず、いつの日か暴力主義的破壊行為を行なうおそれのある組織体であるから、警察が公共の安全と秩序をおびやかすおそれのある団体として日本共産党の動向に関心をもち、情報収集を行うことは警察の重要な職責であり、適法な職務行為である。

しかも、前述のごとく、日本共産党は本質的に中核部隊として労働組合を重視しているのであるから、警察が労働組合内の日本共産党―具体的にはその細胞―の動向あるいは浸透状況に関心を払い、必要な限度で情報収集活動を行なうことは、日本共産党自身に対すると同様に重要な職務行為であり、労組内の日本共産党の動向把握を除外して党の動向把握はありえない。

そして、原告組合内における日本共産党及び同党員の活動状況については前に述べたとおりである。したがつて、原告組合内の同党及び同党員の動向把握のためになされた本件情報収集活動は適法なものというべきである。

五、本件情報収集活動はその手段、方法においても適法である。すなわち、まず、第一に広く警察活動は、国民の支持、協力を得ずして効果的に目的を達成することは極めて困難であり、国民の協力を得て行うことが警察活動の第一歩である。情報収集行為においても一般警察活動の例外ではなく、国民の協力を得て行うことは極めて好ましい姿である。第二に情報収集の対象が厳しく非公然体制をとつている場合には、警察官自身の直接的行為による情報収集には限界がある。日本共産党が、その組織あるいは活動の一部については、常に極めて厳しい秘密主義を堅持し、しかも非公然体制をとつていることについては既に述べたとおりである。したがつて、警察が日本共産党に対する情報収集活動の一方法として国民の協力を得て行うことがあるのは当然であり、協力者の協力を得て行う情報収集は、その協力を得る過程において強制、脅迫等基本的人権を侵害することのない限り、それ自体としては適法な職務行為である。また協力者の協力による情報収集行為は、その組織の自主性を害し支配介入に至る場合は格別、そうでない以上、警察法二条の職責を全うするために必要な範囲と限度内における情報収集行為であり、条理上許さるべき適法妥当な職務行為といわなければならない。

ところで、本件において、被告長井は、かねてから原告組合内に団体等規正令による日本共産党の届出党員が相当数おり、かつ同党の細胞も結成されていて党活動を推し進めていることを承知し、上司からも原告労働組合内における日本共産党の活動状況を把握するように指示を受け、それが職務上の任務であると認識していたところ、昭和三一年一一月頃、たまたま職務上昭和二二年頃より知り合いの訴外大河にめぐり会い、しばらくして、さらに二、三回めぐり会い、互いに住所や勤務先等の社会儀礼上の話を交しているうちに、大河が原告組合のガリ版書きをしていることを知り、大河に協力を求めたところ、同人も被告長井の仕事の内容を承知のうえ、これを承諾したものである。そして、大河は、自己が印刷作成したもので刷り損じの印刷物の中から、大河が適当と考える範囲の原告組合内の日本共産党細胞及び同党員に関する資料や原告組合に関する資料を被告長井に提供するとともに、被告長井から聞かれるままに共産党や党員の動き、党員の氏名、原告組合内における細胞等について答えていたものであるが、被告長井は、大河に対し、情報の提供について、かつて強制したことはなく、大河の理解ある協力を得るということに常に注意を払つてきたものであり、大河が被告長井に協力したのは、同人が長井の仕事に理解をもつたことによるものである。また本件情報提供の協力の依頼をうけた当時は、大河自身にも謝礼を要求する気持はなかつたのであり、大河が任意協力を承諾した際あるいは協力関係が続いている間において、被告長井が、大河に対して、二、三回軽度の酒食を供したり、また協力関係にあつた昭和三二年五月より同三四年四月までの間、毎月平均二、〇〇〇円程度の金員を交付した事実はあるが、これらは協力の労苦や交通費等の費用について大河に不当な迷惑や負担をかけない趣旨をもつて応分の謝礼としてなしたもので、社会通念上許容される範囲のものであり、協力者の人格を汚辱し、自由意思を歪曲せしめるような性質のものではなく、経済的困窮につけ込んで利益誘導したような事実もない。しかも、被告らは入手した資料を公開したり、会社等に漏洩したような事実も全くないから、本件情報収集行為には何らの違法も存しない。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

一、原告組合が、原告ら主張のごとく、法人たる労働組合であり、原告組合を除く他の原告らは、いずれも原告組合の組合員であること、被告黒川は、石川県警察本部長であり、被告林は、石川県広坂警察署長であり、ともに国家公務員であること、被告東、同長井は、ともに地方公務員であること、訴外大河が、原告組合における印刷の仕事に従事していたこと、被告長井が、右大河より幾分かの印刷物をもらいうけ、同人に対し幾分かの金員を授与したこと、被告東、同林、同黒川が、被告長井の上官で、同人を指揮監督する地位にあることについては、いずれも当事者間に争いがない。

二、本件情報収集活動の経緯

(一)  石川県広坂警察署における警備情報活動体制

被告林、同東、同長井(第一回)の各本人尋問の結果を総合すると、石川県広坂警察署(後に金沢中警察署となる)の昭和三三、四年当時のいわゆる警備情報収集活動体制はほぼ次のごとくであつたことが認められる。

同署の機構は、警察庁組織令、石川県警察本部組織条例、県警本部分課規程、警察署処務規程、広坂署処務細則に基づき構成され、署長、次席各一名があり、その下に総務、警備、刑事各担当署長補佐各一名を置き、その下に各係を置き、係長、係員が配されていたが、これを警備係についてみると、警備担当署長補佐(警部)が係全体を指揮監督する立場にあり、その下に係長(警部補)がおり、さらにその下に巡査部長(主任)ないしは巡査たる係員一五、六名が置かれていたものである。そして、署長補佐を含む係全体のうち、内勤は、四名位で、書類の保管、浄書等の仕事にあたり、他の係員は、視察員と称して、いわゆる警備情報の収集、警備犯罪の捜査等の任務に従事していたものである。因みに警備係と並ぶ刑事課の員数は四〇名ほどであつた。

そして、警備係の任務としては、多衆犯罪の捜査、警備情報の収集、警備計画の策定、外国人登録法違反ないしは出入国管理令違反事件の捜査等とされていたものである。

(二)  被告東、同長井の経歴及び職務内容

被告東は、同人の本人尋問の結果によれば、昭和三二年九月三〇日から昭和三四年六月三〇日までの間、広坂署の署長補佐として、署長、次席の指揮監督をうけ、警備係長の補佐のもとに警備係全体の指揮監督にあたつていたものであることが認められる。

被告長井は、同じく同人の本人尋問の結果(第一回)によれば、昭和二〇年一〇月一日に巡査を拝命し、同年一二月広坂警察署外勤勤務員、昭和二二年一二月同署公安係、昭和二三年三月経済係、昭和二四年一二月金沢市警察本部警備係、昭和二九年七月県警察本部警備課、同年一二月広坂警察署警備係勤務となつて事件当時に至り、警備視察員として右東の下で警備情報の収集、警備犯罪の捜査等の任務にあたつていたものであることが認められる。

(三)  大河の経歴、職務内容等

証人大河初二の証言並びに同証言及び証人井上昇、同泉芳士夫の各証言及び原告塚本敏朗本人尋問の結果によつてそれぞれ真正に成立したものと認められる甲第二号証、第一五号証を総合すると、訴外大河は戦時中満洲鉄道の奉天鉄道局金溝子駅長をしていたが、終戦に伴い昭和二一年六月に本国へ引揚げ、昭和二二年一二月広坂警察署公安警備補助員として採用され米駐留軍軍政隊の警備にあたり、昭和二三年二月には右警備任務の移管に伴い石川県総務部渉外課嘱託となり、同年五月米駐留軍軍政隊要員となり、昭和二四年八月頃石川県民事部要員となつたが、昭和二五年九月行政整理により解雇され、その後失業対策事業に従事し、昭和二七年九月より昭和二九年一月まで建設会社の工事現場夜警員として勤務し、同年三月知人の紹介で原告組合専属の印刷請負員として採用され、事件当時に至つたものであること、原告組合内における同人の仕事は、主として組合より交付された原稿に基づき、組合事務所内で原紙を切り、謄写版により刷り上げるものであるが、原紙等の用紙は一切原告組合から支給され、報酬も仕事の量に応じて支給されるいわゆる請負の形をとつていたこと、同人は原告組合の組合員資格はないが、会社の経営する電車あるいはバスの乗車の便宜のため、原告組合の組合員証の発行をうけ、組合の互助組織である相互会での物品購入のための後払い通帳も支給され、また組合執行部の親睦会に出席したこともあること、同人の家族は四人であるが、原告組合から受ける印刷代のほかに組合の宿直手当(月平均一七回分)及び北陸地連からの依頼による印刷代を合わせると、当初において月額約一〇、〇〇〇円、昭和三四年四月頃には約一三、〇〇〇円となり、これに同人の妻の収入約八、〇〇〇円を合わせると、同人の生活状態は経済的にとくに困窮していたものとはいえないこと等の事実を認めることができる。

(四)  本件情報収集活動の端緒

証人大河初二、同西野計二、同西野君子の各証言、前出甲第二号証、証人大河初二、同泉芳士夫、同井上昇の各証言によりそれぞれ真正に成立したものと認められる甲第一号証、第三ないし五号証及び被告長井(第一、二回)、同東、同林の各本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

被告長井は、かねてより、前示のごとく警備視察員として警備情報の収集、警備犯罪の捜査等の任務にあたつていたが、週一回の署長訓育のなかで、左右を問わず暴力を否定しない団体についての情報を収集するよう指示をうけ、また警備担当署長補佐からも、一般警備係員とともに、日本共産党北鉄細胞の原告組合内における浸透状況を把握すべき旨指示をうけていたうえ、長井自身も原告組合内に日本共産党員のいることを知つていたので、原告組合内の日本共産党及び同党員の動向、とくにその活動状況、組合に対する浸透状況、勢力の拡大状況についての情報を得たいと考えていた。そして、右党員の動向は秘密にされ、外部からこれを把握することが困難であつたため、警察の仕事に理解ある協力者を得て、これよりその情報を得たいと考えていた。

ところが、昭和三一年一〇月頃、被告長井は、たまたま、金沢市寺町市電終点付近で、訴外大河と顔を合わせた。長井と大河は、昭和二二年一二月頃、前示のように長井が広坂署公安係としてまた、大河が同署公安警備補助員として勤務していた頃よりの知り合いであるが、それぞれ勤務先が変つてからは道で数回会い互いに挨拶を交した程度であつた。そこで、この時も、互いに挨拶を交したのみであつた。ところが、同年一一月中頃に電車内で再び偶然に会つた際、それぞれの勤務先を明かし、大河は原告組合のプリンターをしていることを話し、また長井は前と同じ仕事をしている旨話したので、大河は長井が公安関係担当の警察の仕事をしていることを知つた。

同年一一月下旬頃、長井のさそいで、両名は金沢市十三間町すし屋「幸楽」で酒食を共にしたが、その際、長井は大河に対し、「情報の提供に協力してくれ。」と依頼した。情報の種類は組合発行の文書であれば何でもよいとのことであつた。また長井は、情報収集の対象は組合自身ではなく、日本共産党であることもほのめかした。しかし、具体的な文書の指定はないので、大河は、長井が大河自身にいかなる文書が必要かの判断を任せたものと解釈し、自己が謄写している組合の文書にはたいして秘密にすべき書類はないし、刷り損じのものはいずれクズ屋にやるのであるから、その中から提供することは何ら差支えないと考え、右依頼を承諾した。そこで長井は情報授受の場所として、大河の通勤途上にある金沢市香林坊の訴外西野計二方通称「ガンバリ堂」という写真屋を指定した。長井と右西野とは親戚関係にあるが、互いに家族同様の親しいつきあいを行つてきていたが、大河にとつては初めて聞く場所であつた。こうして話合が終ると、長井は右飲食代金を支払い、大河とともに右幸楽を退去した。

(五)  情報提供

証人大河初二、同西野君子、の各証言及び前出甲第一ないし五号証、証人大河初二、同井上昇、同泉芳士夫の各証言及び原告塚本敏朗本人尋問の結果によつてそれぞれ真正に成立したと認められる甲第六号証、第八ないし一一号証、第一三、一四号証、前出第一五号証、被告長井本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認められる丙第六二号証の一、二、第六三号証、第六四号証の一、二、被告長井本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、次の事実が認められる。

大河は、長井との前記約束に基づき、昭和三一年末から昭和三四年四月まで、二年五カ月余りにわたり、ほぼ三日ないし一〇日に一回くらいの割合で、一回に一、二通を封筒に入れて、前記西野方に持参して西野の妻君子を通じ、もしくは、同人方に居合わせた長井に直接に文書を提供したものである。そして、右提供にかかる文書は、大部分が原告組合発行の文書で、大河自身の印刷にかかる刷り損じのものないしは余分に印刷されたもので、その処分は大河自身に委されていたものであるが、その数は確定しがたい。前記甲号各証によればその数が二百数十通にも及ぶとの記載があるが、証人大河初二の証言によれば、右甲号各証は、いずれも同人の明確な記憶に基づき作成されたものではなく、同人の印刷した総文件数から事後的に計算された数であり、果して、かかる多数に上つたかどうかは確認できない。しかしながら、前示のごとき情報収集の頻度、期間に照らすと、被告長井の五〇ないし六〇通にすぎなかつたという供述も信用しがたい。結局一〇〇ないし二〇〇通ぐらいと認めるのが相当であろう。これら文書の主なものは、闘争指令、労組通達、組合速報、委員会報告・議事要録、組合役員選挙についての選挙速報などであつた。その外に北鉄細胞の日本共産党昭和三三年綱領草案の説明会をかねた新年会の通知書、北鉄細胞機関紙「団結と前進」創刊号あるいは北陸地連関係の情勢報告書等数通も含まれていた。さらに大河は、雑談の際に、長井の求めに応じ、又は自ら進んで、数回にわたり口頭によつて情報を提供した。その内容は、原告組合内における日本共産党機関紙「アカハタ」の購読者数、日本共産党員ないしは北鉄細胞の動き(例えば細胞機関紙発刊の動き)あるいはレツドパージをうけた者らによる「十月会」結成の動き、日本共産党第七回大会に原告原俊道が出席すること、あるいは原告組合会館内で、平和擁護委員会、平和友好準備会、民主青年同盟、母親大会準備会、原告組合合唱サークル等の会合が開かれていること等であつた。

(六)  情報提供に対する謝礼等

証人大河初二の証言、前出甲第一ないし五号証、被告長井本人尋問の結果(第一回)を総合すると次の事実が認められる。

被告長井は、前示のように大河に本件情報収集を依頼する際に、すし屋で酒食を共にし、その飲食代金を支払つたほか、昭和三一年一二月に支那料理屋で酒食を供応し、また翌三二年正月には西野宅で行われた近隣の親しい者たち同士の新年会に大河を招待して酒食を提供した。その後、同様に数回にわたり、西野宅で大河に酒食の供応をなしたほか、昭和三四年三月頃には「おでん屋」で供応した。これらは、いずれも、大河の前記情報提供に対する謝礼の意味でなされたもので、いずれも五〇〇円ないし一、〇〇〇円相当程度の酒食であつた。

右のように、情報提供の当初においては、酒食の供応のみで、情報提供に対する金銭による謝礼はなされていなかつたのであり、大河自身もこれを期待していなかつたものであるが、昭和三二年五月末頃、大河が謝礼に対する不服から、西野君子を通じて、長井に対し、情報の提供をやめたい旨申出たことから、長井は大河の右不服を了解し、右西野を通じて金二、〇〇〇円を大河に提供し、さらに、数日後には今後とも情報提供に協力してほしい旨依頼した。そこで大河は、従前通りに情報の提供を継続したが、この時以降、長井から右西野を通じ、または直接にほぼ毎月二、〇〇〇円(ただし、昭和三三年七月と八月は各三、〇〇〇円)が手渡されるようになり、昭和三四年四月に至つたものである。右謝礼は、ほぼ定期的に支払われていたものであるが、情報の種類、価値等に応じてその金額が上下したという事情は認められない。

この間、個人的つきあいとしては、長井は大河に対し毎年年賀はがきを送り、また大河は昭和三三年四月頃に弟の身上相談のため長井方を訪れたりした。

(七)  被告東、同林、同黒川らと本件情報活動との関係

前出丙第六二号証の一、二、第六三号証、第六四号証の一、二、被告長井(第一、二回)同東、同林各本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

被告東は、前示のように、被告長井らに対し、原告組合内における日本共産党員の動向の情報収集について一般的な指示を与えていたが、昭和三二年一二月頃になつて、被告長井に原告組合に関する情報提供の協力者がいることを聞き知つた。しかし、協力者の名前については知らされなかつた。また被告林も、同東の報告により、この協力者の存在を知つていた。

そして被告長井は、前示のように、大河より原告組合文書一〇〇通ないし二〇〇通をはじめ、北鉄細胞発行文書、北陸地連関係文書あるいは日本共産党についての口頭による情報等を入手したが、このうち純然たる労働組合関係情報については、長井自身の判断でこれを破棄等の処分に付し、単にその旨を被告東らに報告していたのみであつた。しかし、日本共産党の組織ないし党員に関する文書あるいは口頭情報は、いずれも警備係長を通じ、あるいは直接に警備担当署長補佐に報告していたものである。このようにして、被告東が署長補佐在任中にうけた報告は一五回前後であつた。さらにこれらの情報のうち、重要なものは署長補佐より署長へ、さらに署長より県警本部長へと報告されていた。しかし、これらの情報が、右以外の部外者に漏洩されたことを窺わせる証拠はない。

また、長井が大河に手交した謝礼金は、そのほとんどが、長井の申出により署長補佐が支出伺い書を作成し、次席、署長の決裁を経て国費たる捜査費から支出されたものであつた(このほかに被告長井自身の支出にかかるものが合計一〇、〇〇〇円位あり、さらに大河に提供された酒食も長井自身の負担にかかるものであつた)。これら謝礼金は大河の本件情報提供のために要する時間、交通費、あるいは情報の価値等を含めて、いわゆる実費弁償として署長が妥当と判断して決定した額である。

(八)  本件の原告組合らに対する発覚

証人大河初二、同井上昇、同泉芳士夫の各証言及び原告塚本敏朗本人尋問の結果及びこれらによつて真正に成立したと認められる甲第一二号証並びに原告金岩外雄本人尋問の結果(第一回)によれば、次の事実が認められる。

昭和三四年五月一日、原告原俊道の金沢市議会議員選挙当選祝賀会の席上、大河は田村某より警察のスパイである旨非難され、このことが、原告組合の平田副執行委員長より書記長の金岩外雄に報告されたため、翌二日原告組合の執行委員会において大河を詰問したところ、大河がこれを認め、さらに同日より同月一八日までにほぼ全面的に本件情報提供の事実を自供し、また原告組合において前記西野計二らにも確かめることによつて、本件は、原告組合ならびに同組合員にそのほぼ全貌が明らかとなつたものである。

三、本件当時における日本共産党の活動状況

以上の事実によれば、被告長井は、もつぱら原告組合内における日本共産党及び同党員の動向についての情報を収集する意図のもとに、前記行為をなしたものであることは明らかである。

そこで、本件発生当時における日本共産党の性格、動向並びに原告組合内における同党及び同党員の動向についてみることとする。

成立に争いのない丙第一号証、第三号証の一、二、によれば、いずれも日本共産党の性格を窺い知るに十分であるが、これによれば日本共産党は、マルクス・レーニン主義を行動の指針とし、労働者階級の前衛部隊として労働者階級を指導し、暴力の行使を肯定する革命的手段によって、プロレタリアート独裁による社会主義社会を建設し、共産主義社会の実現をはかることを窮極の目的とするものであることが認められる。

ところで、成立に争いない丙第八号証、証人児玉源吾の証言によつて真正に成立したものと認められる丙第五三号証の三のB、及び証人北出忠光の証言によれば、日本共産党は、終戦直後から昭和二四年頃までは、その革命戦術は野坂参三のいわゆる「平和革命論」によつて指導されていたが、昭和二五年一月、ソ連共産党を中心とする欧州共産党の情報機関であったコミンフオルムは野坂参三の「平和革命論」は誤りであると批判し、野坂参三は昭和二五年二月自己批判を「アカハタ」に発表したこと、そして日本共産党は、昭和二六年二月、第四回全国協議会を開き、同年一〇月には更に第五回全国協議会を開催して、「日本共産党当面の要求」と題するいわゆる五一年綱領を採択し、これに基づいて、「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする軍事方針をうち出したことが認められる。

そして、証人北出忠光の証言並びに同証言及び証人河口三男治の各証言によつて真正に成立したと認められる丙第五四号証の四のBの(ハ)(「球根栽培法」第二巻第二七号)、成立に争いない丙第五五号証の二、証人北出忠光、同竹田繁穂の各証言によつて真正に成立したと認められる丙第五六号証の三(「中核」第二二号)、丙第五七号証の三(「中核」第三二号)、証人北出忠光、同今城界治の各証言により真正に成立したと認められる丙第五八号証の三(「国民の星」第三八号)、丙第五九号証の三(「国民の星」第四〇号)及び証人児玉源吾の証言により真正に成立したと認められる丙第六五号の証の二(「山旅案内」)、同号証の三(「団体等規正令による届出の照会についての回答」)を総合すると、日本共産党は、前記五一年綱領による軍事方針をさらに具体化し、実践するために、昭和二九年頃までの間に、「中核自衛隊の組織と戦術」と題する文書や、前記五一年綱領、軍事綱領を「球根栽培法」「山旅案内」等の仮装の表題で秘密に組織に配布して軍事組織及び軍事行動の必要性を呼びかけ、武器の入手、製造方法や遊撃戦術等を指令し、また中核自衛隊員に任務と活動方針を示す機関紙「中核」と中核自衛隊内の政治委員向け機関紙「国民の星」を同様に秘密に発刊して、中核自衛隊の軍事組織としての強化を呼びかけ、いわゆる暴力革命を具体的に実践しようとしたものであることが認められる。

さらに、証人北出忠光の証言及び成立に争いのない丙第六〇号証の一ないし六を総合すると、昭和二六年末より二七年にかけて、全国各地で大規模な暴力事件が頻発し、昭和二七年一月に発生したいわゆる白鳥事件、同年四月に発生した長野県のいわゆる辰野事件、同年七月に発生した山梨県のいわゆる曙事件についてはいずれも日本共産党員ないしはその同調者が関与した旨裁判所で判断されており、これらは前記日本共産党の軍事方針と関連があつたものと認められる。

ところが、公知の事実並びに証人北出忠光の証言によれば、日本共産党は、昭和三〇年七月第六回全国協議会(六全協)において、これまでの武力革命主義から戦術を転換して、いわゆる「平和革命方式」ないし「不確定方式」を採択したことが認められ、ついで成立に争いない丙第一五号証によれば、同党は、昭和三一年六月二八日、第七回中央委員会総会において武力革命主義が必ずしも時勢に適合しない旨及び平和的手段による革命達成の可能性を表明したことが認められる。

しかしながら、成立に争いのない丙第一六号証(「前衛」日本共産党第七回大会決定報告集)中、同党中央委員会常任幹部会員宮本顕治の中央委員会の報告と題する文章のなかの、

「革命が非流血的な方法で遂行されることはのぞましいことである。

世界の社会主義と平和・独立の勢力が画期的に大きく成長した世界情勢のもとで、アメリカ占領軍の全面的な占領支配が今日のような支配形態となり、サンフランシスコ体制によつて制約されているとはいえ、今日の憲法が一応政治社会生活を規制する法制上の基準とされている情勢では大衆闘争を基礎にして、国会を独占資本の支配の武器から人民の支配の武器に転化さすという可能性が生じている。

しかし反動勢力が弾圧機関を武器として人民闘争の非流血的な前進を不可能にする措置に出た場合には、それにたいする闘争もさけることができないのは当然である。支配階級がその権力をやすやす手ばなすもので決してないということは、歴史の教訓の示すところである。

われわれは反動勢力が日本人民の多数の意志にさからつて、無益な流血的な弾圧の道にでないように、人民の力をつよめるべきであるが、同時に最後的には反革命勢力の出方によつて決定される性質の問題であるということもつねに忘れるべきではない。……中略……。

そして、五一年綱領が「日本の解放の民主的変革を、平和の手段によつて達成しうると考えるのはまちがいである」という断定をおこなつて、そのような変革の歴史的、理論的可能性のいつさいを思想としても否定して、いわば暴力革命不可避論でみずからの手を一方的にしばりつけているのは、あきらかに、今日の事態に適合しないものとなつている。したがつて、七中総の決議は、どういう手段で革命が達成できるかは、最後的には敵の出方によつてきめることであるから、一方的にみずからの手をしばるべきではないという基本的な見地にたつておこなわれた必要な問題提起であつた。……中略……。

また、七中総の決議は、平和革命必然論の立場をとつていないしとるべきではないという見地にたつている。したがつて敵の出方が平和的な手段による革命達成を不可能にする場合を歴史的な可能性として考察することをおこたつてはいけないのである。……中略……。

七中総の決議は、まさに『反動勢力の出方によつてどのような道をとろうとも』革命運動を効果的に防衛するには内外の平和・独立・民主勢力の団結の強大化、人民の既得権の防衛が重大であることを指摘しているのである。……中略……。

また、平和的な手段による革命の可能性の問題をいわば無条件的な必然性として定式化する『平和革命必然論』は今日の反動勢力の武力装置を過小評価して、反動勢力の出方がこの問題でしめる重要性について原則的な評価を怠つている一種の修正主義的な誤りにおちいるものである。」

旨のくだり、また成立に争いのない丙第一七号証(昭和三二年一月一二日号「アカハタ」)に掲載された日本共産党中央委員会宣伝部長杉本文雄の「社会主義民主主義とプロレタリアート独裁」と題する寄稿文のうち、

「なるほど、わが共産党は七中総で、平和革命の可能性を認め、議会で民主的諸党派が多数を占めることが重要であることを明らかにしました。それはいままでの暴力革命不可避論を否定したものでありまして、平和革命必然論でも議会主義でもありません。まず、ここが社会党の考え方と、われわれの考え方がちがうところです。しかしながら原則的なちがいは、わが党が、平和的であろうと暴力的であろうと、社会主義建設はかならずプロレタリアート独裁の樹立が必要だと考えているのに対して、それを社会党が頭から否定しているところにあります。」

旨のくだり及び証人北出忠光の証言を総合すると、さきにみた平和革命方式はあくまで可能性をうたつたもので、日本共産党としては前記六全協以後も武力革命ないしは暴力革命方式を放棄したものでないことが窺われる。

以上要約すると、日本共産党は、革命の方式について戦後しばらくは平和革命方式により活動していたが、昭和二六年一〇月の第五回全国協議会において、いわゆる武力革命方式を採用し、以降その組織に対し武力革命の準備と行動の開始を呼びかけ、昭和二六年から二七年にかけて各地で発生した暴力事件のいくつかには日本共産党員ないしはその同調者が関与していたこと、そして昭和三〇年七月の第六回全国協議会において右革命方式の転換を決定したが、それは武力革命方式の否定ではなく、いわゆる平和革命と武力革命との不確定方式と称すべきものであつたことが窺われ、その後右革命方式が変更されたことを窺わせる証拠もないことからみて、日本共産党は少なくとも昭和三一年ないし昭和三四年の頃においては武力革命ないし暴力革命を行うおそれのある団体とみられてやむをえない状態にあつたものと認めるのが相当である。

四、原告組合内における日本共産党及び同党員の活動状況

(一)  日本共産党の細胞組織とその任務及び党員の義務は次のように日本共産党規約が詳細に示すとおりこれを認めることができる。

すなわち、前出丙第二号証中の日本共産党規約(昭和三三年七月三〇日の第七回党大会決定)は細胞を中心とした組織について、次のように定めている。

「党の組織は、工場、鉱山などの経営および農村、居住、学校を基礎として組織される。基礎組織の上級は地区機関、地区機関の上級は都道府県機関、都道府県機関の上級は中央機関である(第一五条第二項)。

基礎組織の最高機関は、細胞党会議(総細胞党会議)または細胞総会であり、党会議(総会)から党会議(総会)までの指導機関は、細胞委員会(総細胞委員会)または細胞長である(第一七条第四項)。

日本共産党の基礎組織は、細胞(総細胞)である。工場、鉱山、船舶、その他の経営、町村、学校などに、三人以上の党員がいるところでは細胞をつくる(第四八条一項)。

党員が一〇人にみたない細胞は、細胞長、副細胞長を選出する。

一〇人以上の党員がいる細胞では細胞委員会を選出する。

細胞には班をもうけることができる。班には班長をおく。とくに党員のおおい経営、町村などでは、党活動をつよめるため、地区委員会の承認をうけ、いくつかの細胞をつくり、これらの細胞で総細胞をつくることができる。

総細胞は、総細胞委員会を選出する。細胞委員会(総細胞委員会)は委員長、副委員長を選出する。

細胞(総細胞)の指導機関は地区委員会の承認をうける。」

また、右党規約は細胞の任務について次のように定めている。(第五一条)。

「(一) 細胞はつねにかたく団結し、細胞会議を定期的にひらかなくてはならない。

(二)  党の綱領と決定を大衆のなかで宣伝し、大衆と結びつき、大衆とともにその実現につとめる。

(三)  党の機関紙と党の文献の普及につとめる。

(四)  大衆の気分、意識、要求をただしく理解し、これを上級機関に報告するとともに、大衆の利益をまもつてたたかう。

(五)  あたらしい党員をふやし、党費をあつめ、党員の長所と短所をよく研究し、党員が党の規律をまもるようにつとめる。

(六)  マルクス・レーニン主義と党の経験や政策の学習を組織し、党員の思想的、政治的水準をたかめる。

(七)  活動の中で批判と自己批判をつよめ、欠陥と誤りをあきらかにし、これをとりのぞくようにつとめる。」

さらに、右党規約第二条は党員の義務について、次のように定めている。

「(一) 全力をあげて党の統一をまもり、党の団結をかためる。

(二) 党の政策と決定を実行し、党からあたえられた任務をすすんでおこなう。

(三) 大衆のなかではたらき、大衆の利益をまもつて大衆とともにたたかい、党の政策と決議を大衆に宣伝し、党の機関紙や文献をひろめ、大衆を組織し、党員をふやす。

(四) マルクス・レーニン主義の学習につとめ、自己の理論的、思想的水準をたかめる。

(五) 地位のいかんにかかわらず、党の規約と規律をかたくまもる。たえざる修養によつて高い品性を身につける。

(六) 批判と自己批判によつて、党活動の成果とともに欠陥と誤りをあきらかにし、成果をのばし欠陥をなくし、誤りをあらため、党活動の改善と向上につとめる。

(七) 党にたいして誠実であり、事実をかくしたり、ゆがめたりしない。

(八) 敵の陰謀や弾圧にたいし、つねに警戒し、党と人民の利益をきずつけるものとは積極的にたたかう。

(九) 党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはならない。」

そして、右党規約第一四条は、党の組織原則としてつぎのように定めている。

「(一) 党の各級指導機関は、選挙によつてつくられる。

(二) 党の指導機関は、それを選挙した党組織にたいして、その活動を定期的に報告する。

(三) 党の指導機関は、つねに下級組織と党員の意見や創意をくみあげ、その経験を研究、集約し、提起している問題をすみやかに処理する。

(四) 党の下級組織は、その上級機関にたいし、その活動を定期的に報告するとともに、その意見を上級機関に反映する。

(五) 党の決定は無条件に実行しなくてはならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は、党大会と中央委員会にしたがわなくてはならない。

(六) 党指導の原則は、集団指導である。集団指導と個人の責任制は、ただしくむすびつける。重要な問題は、すべて集団で決定し、個人が分担した任務については、創意を発揮し、責任をはたす。」

そして、成立に争いない丙第三八号証によれば、日本共産党は、前記六全協以後においても、なお、活動の公然化を進めながらも組織についてはその防衛の必要上非公然性を強調していることが明らかである。

(二) 原告組合における日本共産党及び党員の活動

訴外会社は従業員数二、五〇〇名をこえ、地方鉄道事業、軌道事業、自動車事業では石川県下で最大の企業であることは公知の事実であり、また原告組合はその組合員数などの規模において石川県下で有数であり、その活動が県下の労働組合の中で、もつとも活発な方とされていることも公知の事実である。

成立に争いのない丙第二六、二七号証によれば昭和二四年一〇月原告組合内に日本共産党金沢地区委員会北鉄細胞が組織され、当時同党員及び細胞構成員が一九名おり、昭和二五年二月には一八名いたことが認められる。また、右証拠及び成立に争いのない丙第二九ないし三二号証の各一、原告金岩外男、被告長井(第一回)各本人尋問の結果を総合すれば、昭和三一年ないし三四年頃に、原告組合内に少なくとも原俊道ほか数名の日本共産党員がいたことが認められる。

そして、証人長田長太郎の証言により真正に成立したと認められる丙第三九号証によれば、右原俊道は昭和二八年から昭和三四年まで原告組合執行委員、教育宣伝部長を経て組織部長を歴任したことが認められ、また証人松田行雄の証言により真正に成立したと認められる丙第四〇号証によれば、右原の執行委員選出に際して、北鉄細胞が活発な支援活動をしたことが認められる。さらに成立に争いのない丙第四七号証の一によれば、前記原俊道は、原告組合の機関紙と認められる「北鉄労働」昭和三三年七月二一日号に「日本共産党第七回大会出席にあたりて」と題して、日本共産党第七回大会に出席するについての心境ならびに資金カンパに対する謝礼の意を表する文章を発表したこと、また、成立に争いのない丙第四八号証の一によれば、右原は、さらに「北鉄労働」昭和三三年八月一一日号に「綱領はなぜ決らなかつたか」と題して、右第七回党大会の報告をしていることがそれぞれ認められる。

以上の事実によれば、本件の発生した昭和三一年ないし三四年頃、原告組合内にはその数は確定しがたいが、少くとも数人の日本共産党員が存在し、これらの者が北鉄細胞を構成していたものであること、そして、右党員及び細胞は原告組合内において、党の政策、決定等の宣伝活動を行なつたことが明らかである。そして、これらの事実並びに証人徳田茂二の証言及びこれにより真正に成立したと認められる丙第四五号証、証人中口武男の証言により真正に成立したと認められる丙第四六号証、証人釜隆の証言により真正に成立したと認められる丙第三七号証を総合すると、右党員及び細胞は原告組合に対して少なからざる影響力を有していたことは容易に推認できる。

五、本件情報収集活動の違法性の有無

(一)  警察法六三条は、「警察官は、上官の指揮監督を受け、警察の事務を執行する。」と規定し、同法二条一項は警察の責務として、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」と規定している。これによれば、警察官の職務が、右公共の安全、秩序の維持にあることは明らかである。

ところで、警察の行ういわゆる情報収集活動には具体的な犯罪の発生後に、その捜査のためになすもの(捜査情報活動)、具体的に犯罪又は公安を害する事案が発生するおそれがある場合に、その予防鎮圧のために行われるもの(事件情報活動)、あるいは具体的に右事案発生のおそれはないが、一般的に将来に備えて平素から公安の維持、犯罪の予防、鎮圧のために関連する情報を収集するもの(一般情報活動)などがあると思われる。

右のうち、捜査情報活動は主として刑事訴訟法ないしは補充的に警察官職務執行法に基づく犯罪捜査活動の一環としてとらえることができ、警察の職務行為に該当することは言うまでもないところである。また、警察官職務執行法は、警察官が警察法二条一項に規定する責務並びに他の法令の執行等の職権職務を忠実に遂行するために必要な手段を定め(一条一項)、個人の生命、身体及び財産の保護のためには、保護、避難等の措置、立入の手段を(同法三条、四条、六条)、また犯罪の予防のためには質問、犯罪の予防及び制止、立入の手段を(同法二条、五条、六条)それぞれ規定している。したがつて、同法の規定するように、具体的に犯罪がまさに行われようとしているような場合については、その予防のため右のような手段を講ずべきこともまた警察官の職務行為であることはいうまでもない。しかし、一般的に右のごとき強制力の伴わない情報収集活動、すなわち、いわゆる警備情報収集活動が警察官の職務行為となるか否かについてはとくに明文の規定の存しないところである。

思うに、今日のごとく、科学が急速に進歩し、社会機構が複雑になるに伴い、犯罪の態様は複雑さを極め、その規模も大型化しつつあることは公知の事実であり、かような犯罪が一旦発生するや、警察がこれを取締り、鎮圧せんとしても、その損害は容易に回復しがたいものとなる。したがつて、警察が警察法二条一項に定める職責を全うするためには、公共の安全、秩序の維持に対する犯罪の発生を予防し、あるいは一旦発生した犯罪による損害を最少限度にとどめるため、警備体制を整え、その対策樹立に資する目的をもつて、必要な範囲内において各種の情報の収集や査察行為をなすことはその職責の一つといわなければならない。それは、警ら、巡回連絡、交通安全運動などとともに、警察官の事実行為として、警察法二条一項の予定するところと考えられる。

もちろん、同条二項が明定するごとく、「警察の活動は、厳格にその責務の範囲にかぎられるべきものであつて、しかも、その職責の遂行に当つては、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない」ことは言うまでもない(警察官職務執行法が、一般的に強制を伴う手段の行使について厳格な要件のもとにこれを規定したのは右のごとき趣旨に出るものと考えられる)。

したがつて、何らの強制力の伴わない警備情報収集活動が一般的に警察官の職務行為に含まれるとしても、それが適法なものかどうかについては、それが真に公共の安全、秩序の維持を図るためになされたかどうか、その責務の遂行が正当な範囲内のものであつたかどうか、また、それが日本国憲法の保障する国民の権利を侵害することがなかつたかどうかなどの諸点を慎重に考慮して判断しなければならない。

(二)  ところで、原告らは、被告らの本件情報収集行為により、憲法二八条、労働組合法一条によつて保障されている原告組合とその組合の団結権と団体行動権が侵害されたと主張する。

その内容の厳密なせん索はともかくとして、これらの諸権利の保障は、対国家権力との関係においては、国家が労働者の団結結成及びその組織活動の自由に対して不当な干渉、介入をなすことを許さないということにあることは疑いのないところであり、この国家権力による干渉、介入の排除を徹底するためには、労働者並びに団結体が、団結体の内部事情を国家権力によつて不当に探知されない利益をも有するものといわなければならない。

そして、本件においては、前示認定のとおり、原告組合の内部事情が、警察によつて結果的に探知されることとなつた事実は争えないところである。

(三)  しかしながら、前示のごとく、被告長井は、上司たる被告林、同東らの一般的な指示のもとに、もつぱら原告組合内における日本共産党及び同党員の動向、とくにその浸透状況等を調査する目的のもとに本件情報収集活動を行つたのであるが、当時の日本共産党は、合法政党の一つであるとはいえ、革命の戦術について武力革命方式よりいわゆる不確定方式に転換して間もなくのことであり、なおまだ暴力主義的破壊行為を行うおそれのある団体とみられてもやむをえない状態にあつたこと、しかも原告組合内には日本共産党員が存在し、これらの者が細胞を構成して、党の政策、決定等の宣伝活動を行い、原告組合に対して少なからざる影響力を有していたことなどの状況にかんがみると、本件情報収集活動の目的それ自体は、情報収集活動として、警察の責務を逸脱したということができず、また本件の情報収集活動が原告組合内における日本共産党及び同党員の動向を対象とする関係上、その責務の遂行に当つては必然的に原告組合及び同組合員である他の原告らにも目を向けざるを得ず、外形的には原告らに対する情報収集の観を呈することがあつても、それは本件情報収集活動の前示のごとき目的に伴う必然的な結果にすぎない。

また、本件情報収集は、大河の協力によつてなされたものであるが、元来、警察活動は国民の協力を得ずして効果的に目的を達成することが困難であることは明らかであり、法もこれを許容しているところと考えられる。この意味では情報収集活動も、一般警察活動と同様に国民の協力を得て行うこと自体は許されるものと考えられる。そして、当該情報収集の対象が非公然体制をとつている場合には、警察官自身の直接的な行為による情報収集には限界が存することが明らかであるから、かような場合に情報収集活動の一方法として、国民の協力を得ることも、また法の許容するところと思われる。したがつて、本件のごときいわゆる協力者による情報収集活動も、それ自体直ちにとくに非難すべき性質のものとはいいがたい。

ただ、ここで問題になるのは、その協力者による情報収集の方法、態様であるが、前示のとおり、本件情報収集活動が被告長井と一〇年間ほどの個人的な知り合い関係にあり、一時は米駐留軍軍政隊警備員という警察類似の仕事の経験のある大河との偶然の出会いが契機となり、大河が右長井の求めにその職務内容を知悉しながら任意にこれに応じ、前示の情報提供を続けたものであること、その過程で、長井が特に大河を強制したり、あるいは脅迫したという事実も認められないこと、また謝礼としての酒食もごく軽度のものであり、金銭の交付も当初からなされたものではなく、どちらかといえば大河自身の要求に近い形で途中から交付されるようになつたものであること、さらに大河の提供にかかる文書は、ほとんどが大河自身が請負としてなした印刷にかかる文書のうち、刷り損じもしくは余分の印刷物であつて、その処分は大河自身に任されていたものであることなどの前示の事実関係からみると、本件情報収集の過程において大河自身の人格を傷つけ、その自由意思を歪曲せしめるような利益誘導があつたともいえないし、また、前示のとおり本件収集にかかる情報は、長井自身の判断により不要のものは直ちに廃棄等の処分に付され、必要なものは上司を通じ上級機関に報告されたが、いずれも部外者に漏洩されたことを窺うに足りる証拠もなく、さらに、本件収集にかかる文書並びに口頭情報がかなりの量に上ることは前示のとおりであるが、それも提供すべき情報の判断を大河自身に任せたことによるものと考えられ、しかも、情報の収集はその性質上ある程度の不確定な見込みのもとに行われるのが通常であるから、提供された情報の量だけからみて直ちにそれが警察活動の責務の範囲を逸脱したということもできない。

(四)  以上を総合すると、本件における原告らの被つた前述の不利益を考慮しても、なお、本件情報収集活動は、違法のものとは断定できない。

六、そうだとすれば、原告らの被告らに対する本訴請求は、違法性の要件を欠くものとして、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

よつて、原告らの被告らに対する本件請求は、いずれも棄却を免れず、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 至勢忠一 清水信之 石垣君雄)

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